GEKIREI

since April 2011

高山広
ひとり芝居

東北復興支援お手伝い公演「劇励」は、『劇に励み、励まし』をむこう10年の目標と定め、2011年4月より高山広を中心に始動した演劇活動です。

舞台に立つ一人芝居役者 高山広の演劇

東北復興支援お手伝い公演「劇励」は、『劇に励み、励まし』をむこう10年の目標と定め、2011年4月より高山広を中心に始動した演劇活動です。

アクターディレクトライター 高山広による
一人芝居プロジェクト 劇励

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SENDAI

Performance in Sendai

2022仙台公演

開催日:12月24日(土)
時 間:開場13:00~開演13:30
料 金:大人4,000円 学生無料(全席自由)
会 場:エル・パーク仙台 スタジオホール
   (仙台三越定禅寺通り館)
定 員:95名

Sponsors

supporting companies

2021仙台公演
ご協賛企業様

この度は東北復興支援お手伝い公演「劇励」仙台公演にご協賛を賜わり、誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

actor

takayama hiroshi

高山 広

シンガー ソング ライター のような「アクター ディレクト ライター」

俳優、劇作家、演出家

1963年宮城県生まれ。 「みやぎ絆大使」 「栗原ドリームアンバサダー」

1992年から始めた自作自演の数本立て短編集『高山広のおキモチ大図鑑』がヒット。2011年3月の震災を機に復興支援お手伝い公演『劇励』を立ち上げる。作品数は約600。様々な人間や動物、昆虫といった生物はもとより地球上に存在するあらゆる物に魂(ソウル)を憑依させ独特のワールドを構築。「一人芝居の概念を変えた」と評され、劇場、学校、飲食店、オフィス…場所を選ばず各地各所にて老若男女を笑いと感動で魅了し続けている。また、新境地となる「実在する人物、アーティスト・シリーズ」ではこれまでに、一ノ瀬泰三(写真家)、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリンを披露、2019年から再演を重ねるマイケル・ジャクソン物語は各方面で大きな反響を呼んでいる。

(主な出演作)

【TV】 NHK朝の連続ドラマ『あぐり』『すずらん』『天花』等。

【舞台】 『ビギン・ザ・ビギン』(主演:森光子/帝国劇場)

     ・ミュージカル『火の鳥』(原作・手塚治虫)

     ・KOKAMI@network 3『恋愛戯曲』(鴻上尚史 作・演出/主演:永作博美)

     ・グループ る・ばる『ああ結婚〜昨日今日明日〜』(松金よね子、岡本麗、

      田岡美也子)ほか。

シンガー ソング ライター のような「アクター ディレクト ライター」

俳優、劇作家、演出家

1963年宮城県生まれ。 「みやぎ絆大使」 「栗原ドリームアンバサダー」

1992年から始めた自作自演の数本立て短編集『高山広のおキモチ大図鑑』がヒット。2011年3月の震災を機に復興支援お手伝い公演『劇励』を立ち上げる。作品数は約600。様々な人間や動物、昆虫といった生物はもとより地球上に存在するあらゆる物に魂(ソウル)を憑依させ独特のワールドを構築。「一人芝居の概念を変えた」と評され、劇場、学校、飲食店、オフィス…場所を選ばず各地各所にて老若男女を笑いと感動で魅了し続けている。また、新境地となる「実在する人物、アーティスト・シリーズ」ではこれまでに、一ノ瀬泰三(写真家)、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリンを披露、2019年から再演を重ねるマイケル・ジャクソン物語は各方面で大きな反響を呼んでいる。

(主な出演作)

【TV】
NHK朝の連続ドラマ
『あぐり』『すずらん』『天花』等。

【舞台】
『ビギン・ザ・ビギン』
(主演:森光子/帝国劇場)

・ミュージカル
『火の鳥』
(原作・手塚治虫)

・KOKAMI@network 3
『恋愛戯曲』
(鴻上尚史 作・演出/主演:永作博美)

・グループ る・ばる
『ああ結婚〜昨日今日明日〜』
(松金よね子、岡本麗、田岡美也子)
ほか。

色々あって、一人芝居というスタイルで活動を始めて十二年ほどになる。世間知らず、業界知らず無我夢中で始め、やがて作品の数も増え定期的に公演を打つようになりだすと、よくこう聞かれるようになった。「なんで一人(芝居)なの?」 そのほとんどは、特に役者さんを含むエンゲキカンケーの方々からのものだったが、それにはきまって、なぜかある種の侮蔑のような物が含まれていた。「…だって、一緒にやってくれるお友達も居ないし、面白そうなホンも見つからなかったし、第一お金がないからギャラ払えないし、セット組んだり、衣裳なんかも凝れないし…そんな中でも何かをハッピョーしたくてしょうがなくって…えー…しょ、しょーがないから、エイッって一人で始めちゃったの」小学校低学年のような当時の私の答えを待たず、相手は今日観たその小学生くんの一人芝居がいかにダメだったのか懇切丁寧にダメ出ししてくれながら実に気持ちよさ気に酒を呑むのだった。

こんな事もあった。アルバイト先にやってきた某超有名ベテラン俳優さんが、店主から私が一人芝居をやっているとの紹介を受けると、「あーだめ!彼見込みない。観なくても分かる。その時点で失格。君ね、芝居っていうものはアンサンブルなんだよ!独り善がりな奴はダメ。大体、一人芝居で成功した奴っているか?○○くらいだろ?でもアイツだって所詮…(以下、延々と)」気が付けば私はぺこぺこ頭を下げながら「すいません」を連発。「なんで俺謝ってんの?」その後、私は記憶が飛ぶほど呑んだ…、らしい。

私はようやく理解しだした。「一人芝居」ってヤバイんだ。エンゲキの方々からの意見を総合すると…、一人芝居をやろうとするような輩は、協調性に欠け、俺が私がと目立ちたがり、手柄を独り占めしたがる身勝手で強欲な恥知らずである。ということらしい。なるほど、侮蔑を込めた物言いの理由が少しだけ理解できた。強欲で恥知らず…、確かに私はそういう人間でもある。でも待っていただきたい。それがそのまま当たっているかどうかは別として、そもそも俳優やら歌手やら人前で何かを発表しようとする人間は、程度の差こそあれ、皆そういった要素を持ち合わせているのではないか。少なくとも、主張してやろう、格好良く見してやろう等といった事は無縁に淡々と生きておられる多くの方々のそれの比ではないはずだ。

「ああ、一人芝居ね…」「ごめん、私ソッチ系ダメ」一度も私の芝居を観たこともない人間からこれらの言葉を私は数限りなく浴びてきた。私の場合、さらに作、演出までもが自分なのでその風当たりは倍加した。同じように演劇をやっていてこの迫害に近い仕打ちはなんだろう。確かに、独善的で閉鎖的な一人芝居が多いのも事実だ。それによるイメージが、一人芝居=退屈。つまらない。に繋がってきたとも言えよう。しかし、なぜエンゲキカンケーから過剰なほどのバッシングが多いか…その理由を、偏見なく観に来てくれた音楽の連中がこう片づけた。「ジェラシーだよ。アンタがやってることがみんな眩しいんだよ。俺らで言えばシンガーソングライター。だから…アクターディレクトぉ?…ライター?とでも言って新しいジャンルにしちゃやあいいじゃん」思わず、それにすがった。だって寂しくって不安だったんだもん。我が意を得たり、以後、今日に至るまで恥ずかし気もなくその肩書きで活動を続けてきた。

名は体を表す?私は自分で掲げたその看板に恥じぬよう、またそう名付けてくれた音楽人たちを失望させぬよう一本一本の作品(ネタと言われる物も多い)に魂込め、書き演じてきたつもりだ。あれから十年と少し。質問の多くは今では「どんな時に思いつくんですか」に変わった。一人芝居というヤリカタは私に通常の演劇活動では味わえなかったであろう実に多くの物をもたらしてくれた。その身軽さから何処へでも呼べると気づいて下さった多くの方々のお陰で、各地のバー、体育館、山小屋、会議室、台所…実に様々な場所が今、演劇空間と化している。十年変わらぬスタッフたち、毎月楽しみにして下さるお客様、年に数回を心待ちにして下さる方々。気が付けば私は実に多くの人々と場に支えられ芝居を続けている。

結果、言えること…、一人芝居もけっして一人じゃ成り立たないという事。なんでも一緒。問題はそこじゃない。このところエンゲキでは「テーマなんて必要ない」ってのが流行らしいが、ご勝手に。私にとって相変わらず一番重要な問題は、その形式やジャンルなどではなく、そいつが何をどう伝えたいのかという事に尽きるのだ。

「そんな長い一人芝居誰が観るか」そう酷評された事もある作品が昨年小さな小さな賞を頂きこの夏、仙台でロングランが決定した。沢山の人々との出会いと思いが結実、更に多くの手によって実現するそのステージを私は心から誇らしく、そして光栄だと感じている。

最後に自分自身で問おう。なぜ一人芝居か?
「…たまたまさ。誰もが自分らしくやりゃあいいだけだよ」

tekko tsunaide abain